世界中の人間の手を集めて博物館をつくり、平和の施設に、てのひらの作品を設置するのが私の夢である。


by tunisianoyoru

今年の初夢を分析すると、私には努力が必要なようです。

 正月に私が見た夢は、今現在の年齢で高校に入学するものであった。



 意味不明だが、夢では、これから1年間高校に通わなければならない設定になっていた。

 その世界の高校では、時間の流れ方がおかしく、建物は新しくなっているが、担任はまったく齢をとっておらず、若いままである。(誰の夢でも、先生はいつまでたっても歳をとらないのだろう。)

 クラスに何人かは、親しくはないが、顔と名前ぐらいはわかる程度の知人が入学しており、その知人も年はとっていないように見える。

 時間割はあるが、なぜかそのとおりに授業はなく、ぼんやり教室で担任の話を聞くだけである。

 授業の内容は、

 「本校は増築によって、新しい教室ができたので、君達はそこで授業が受けられるが、下駄箱に近い教室か、運動場に近い教室か、どちらを選ぶかで議論せよ。」

 というものであった。

 いくら生徒中心の高校でも、そんなことまで生徒が決めたらややこしいだけであり、どうでもいいのではないか…。

 しかし、学ぶ者に主体性がないと言われるかと思い、先生が決めてくれとは言えない。

 私の名前が呼ばれると、私が入学していることを知り驚いたようにしている女性がいた。その人は当時、私より一年下で病弱で休みがちだった人であった。

 あまり歳はとっていなかったが、その人の顔の皮膚はひどく荒れており、私は、彼女の顔をじっと見ることを避けた。

 教室を出ると、さらに幾名かの知人と挨拶をしたが、彼らは高校時代とほとんど変わっておらず、時が流れたことを感じさせない。不思議と現実世界で良く会う友人にはまったく会わない。

 次の日、寝坊していることに気が付く。

 一時限目には間に合わない。高校時代に遅刻などしたことなかったが…。こんなことで高校生活を無事全うできるのだろうかと不安になった。


 その日、2日目は、なぜか全校が集まる体育館で、演説している自分がいた。


 体育館での演説で私はこんなことをしゃべった。

(前置きは省略)

 あと10~20年ほどすれば、労働者人口が激減し、若者が現在のように就職に困ることはなくなっているはずである。君達はこう考えるかもしれない。

 つまり今の若い人はたくさん子供をつくっても、その子が成人するころには、余裕で仕事を選べる時代になっている可能性があるので、どんどん子供を作っても問題ない。

 そして不安の少ない安定した生活をするようになった人達は、たくさん子供をつくる可能性があると… そう考えるのは楽しいが、まずそうはならないだろう。

 未来の若者たちは、就職は簡単だったが、働いてもほとんど税金で持っていかれるため、何のために働くのかわからないという展開になっているかもしれない。

 同じ働くなら、賃金は低くても、税金の安い国のほうが、生活は楽ということもありうるかもしれない。

 そうなると優秀な者は、日本を離れるが、海外に出たくないという日本の学生も多くいるだろう。企業はそんな学生をほしがるだろうか…。

 外国籍の労働者にとっても、税金が高すぎるため、日本へはこなくなっていくわけだが、大企業は、外国籍の特に優秀な若者は大抜擢するだろう。日本の学生はますますいらないという形が加速していくのかもしれない。

(後半略)

…学生の反応は薄くこの場面は終了。

 夢の中で、なぜ私は高校に入学しているのかという疑問が芽生える。卒業した高校に再び入学する必然性がどこにあるのだ。

 私はここでいったい何を学ぶのか?

 今も昔も、この高校は自分の立ち方を考えさせられる場のようである。

 私は高校時代、美術部だったころの夢を見ない。私にとってはあの時代は過去になっておらず、いまだに進行中なので、高校時代の美術部の夢を見ない。

 これは私の意識の深いところで決められたルールである。今回の夢も美術室でなく教室の夢である。

 それはいいとして、なんで今頃入学しなければならないのか。

 思い返せば、わたしが、当時15歳のころ、入学したのは高校ではなかったように思う。おそらく実質は美術部に入学したのだ。そして高校の授業といういくつかのクラブを兼部していたというほうが正しいかったように思われる。

 つまり私は、今頃勉強不足を感じているのだろうか?

 などと書いてみたが、これは予知夢ではなく心理状況が示される夢だから、今の自分の心理が夢の形に出てきただけなんでしょうね。



 残りは、ドストエフスキーの小説に登場していそうな小役人風の男に解説をしてもらいましょう。(これより下は、さらに意味不明)

 なるほど、高校時代の夢を見ましたか!

 これは特別、言いにくいことでもないですな、よくある現実逃避の一種ですな。

 あなたは、最近うまくいっておらず、古き良き時代をノスタルジックに思い出した。

 しかしながら、夢に出てきたのは、あれほどよく通っていた美術部ではなく、ただ、ぼんやりしていただけで、何の思い出もない教室だったとはねえ!

 小役人の視線は、私の顔を通り過ぎて、どこか、部屋の真ん中あたりあった。

 あなたは、それがなんなのかよくご存知でしょうが!


 「苦しまないものづくりなんてありませんし、自分の血を流さない芸術作品なんて私には考えられません。…古傷を開いてでも痛みを感じていなければ、作品制作なんて、ただの作業で終わってしまうんですよ。」



 この辺りまで書いて、文章を読み返してみて、そろそろ終わったほうがよさそうなので、唐突に終了する。
by tunisianoyoru | 2011-01-06 02:57 | 作家活動日誌(第二部)