世界中の人間の手を集めて博物館をつくり、平和の施設に、てのひらの作品を設置するのが私の夢である。


by tunisianoyoru

カテゴリ:文学編( 2 )

ドストエフスキー

ちまたでは夏が来ているらしい。

私の部屋には本が1500冊ダンボール30箱に入っていてこれをどうするかが課題です。

生活に支障がでるので、オークションで売ってしまおうと計画中。今すぐ無理に売らなくてもいい作品も多いので気長に整理していく予定。

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ドストエフスキーを読み始めたのが9年前。毎年少しずつ読み進めています。
芸術家なら、一度はドストエフスキーと自分と比べてみたくなると言う人もいます。多くの科学者、芸術家に読まれたドストエフスキーですが、19世紀の人でありながら、20世紀、21世紀の社会と人間の姿を予見しています。以下は作品の感想です。

カラマーゾフの兄弟 
最高傑作。D氏の作品でこれを超えるものはないようです。もう少し生きていたなら後半部分
が書けたのに…。この作品の後半を考えることが楽しみになっています。
私はイワンよりも三男アレクセイのほうが知性を感じます。前半は親父のフョードルが、後半
はスメルジャコフがいいですね。とくに親父のフョードルは他の作品にはないキャラクターで
す。イワンはとスメルジャコフは罪と罰のラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ、アレクセ
イは白痴のムイシュキンがベースになっているようです。主人公が前作よりも欠落したイメー
ジではなく過剰な性格として書かれているので現代人にも読みやすいと思います。アレクセイ
を愛さずにはいられない。彼が愛憎劇に巻き込まれたり、人間に絶望したりする姿が見たかっ
たですね。

白痴 
全体的に単調さを感じるので人には薦められないのですが、二ヶ所すごく面白い場面があります。そこの部分は何度読んでも面白い。
現代から見ると、ロゴージンという悪魔的(病的)なキャラクターはいいのですが、無垢な主人公ムイシュキンというのは新鮮ではないと思います。当時は斬新だったのかな。ユゴーの「レミゼラブル」にも影響を受けているようです。しかしながら、D氏は悪魔を書けばよかったんですよ。
現代人からみれば、ナスターシャを主人公にしてもよかったのではないかと思います。彼女は知的でセンスがよく美人なのですが、自分に求婚してきた男の札束を暖炉にほりこんだりするなど、身を滅ぼすほどの自尊心が高い人です。自尊心ゆえの奇行が多い主人公というふうに進めても面白かったのではないかな。
イポリートという男が自分の真実を証明するために弁舌をぶち、告白が真実であることを証明するためにピストル自殺をする計画だったが、手違いで玉が出ないという事態が起こり、噴飯ものの大失態をするシーンが笑える。

悪霊 
当時カットされた部分、「スタヴローギンの告白」がラストに掲載されていてそこがすごく面白
いが、途中は構成的にいらない部分が多いと感じる、19世紀にはこの主題を書くことはできな
かったということか。
この作品は読みにくいので人には薦められない。しかし、D氏への興味が深まる作品でした。
ユゴーの「レミゼラブル」ではフランスの革命のヒューマニズムが書かれているが、D氏の「悪霊」には革命に潜むサタニズムの予感が描かれている。腹の底までニヒリストの主人公スタヴローギンの告白は、自分の卑劣な快楽のために少女を辱めて、自殺させる。この部分を中心にしたら格段に面白くなったと思います。

罪と罰
この作品は有名です。原作を読むと、後半部分まではかなり単調。家の貧しさゆえに最愛の妹ドゥーニャが、金持ちの親父に嫁ぐことになる。主人公は思想を振りかざして強欲な老婆をたたき殺したが、犯行の目撃者も殺してしまう。はじめの思想は腰砕けになり、まったくの殺人犯になる。そして自分の犯行の発覚におびえる日々を送るという話。
ソーニャという女性に向かって自分の罪を懺悔するラスコーリニコフという図がよく書かれるが、私はこの部分はこの作品にとってそれほど重きを置くべきではないと思います。
D氏が本当に活き活きと書いているのは後半スヴィドリガイロフがドゥーニャを監禁して襲おうと企てるが、逆に銃を向けられるシーンです。(この2人にドストエフスキーは「賭博者」執筆中に知り合った25歳年下ののちに妻となる女性、アンナを投影させていたのではないか)スヴィドリガイロフは撃たれることを望んだが、この主人公の妹ドゥーニャはこの選択に、わざと外して打ち、彼らの仲間には入らなかった…。そしてスヴィドリガイロフはこれみよがしに街で自殺。これが罪と罰の一番重要な部分であり、ドゥーニャとスヴィドリガイロフの部分こそ「罪と罰」なのだと言わねばならないでしょう。

白夜
この白夜は非常に読みやすく短いので読んでもいいんじゃないでしょうか?これ読んだとき主人公と同じ26歳だったのですごく感情移入しましたね。
D氏の初期の作品はロシア文学からの影響は大きかったと思うけれど、当時のロシアではフランスの文化についてたいへんなあこがれをもっていました。彼はロシア版ゲーテを狙っていたんじゃないかなと思っています。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に少し似ているますが、ロシアのウェルテルは弱気な青年です。どこかしら日本の少女漫画風に感じるのはなんででしょう。

地下室の手記
冒頭は太宰治が人間失格を書くときのモデルになったのではないかと思います。D氏はシベリアでの徒刑囚時代にいろんなタイプの犯罪者を見て、小説の題材にしています。そのときのことを「死の家の記憶」という小説で書いていますが、このときは作家の立ち方としてはまだ人道的なところで書いています。この「地下室の手記」を書いていたときに、自分自身も病気でありながら看病をしていた妻が死に、肉体的にも経済的にも極限の中で、彼は、悪魔と契約を交わしたと思うのです。「地下室の手記」以降の作品の文章はわかりにくく、露悪的になり、どこにでもいるやつらの顔をした大衆的悪魔主義文学を書くようになりました。この作品以降、ドストエフスキーには現代人に近い感覚を感じます。

やはり小説家は悪魔に魂を売った奴がいいですね。なかなか我々は悪魔に魂を売ることができませんので、読んでいて楽しいです。ドストエフスキーは誰にも書いたことがなかった人間の真実の中にある奇妙さを表現しました。優れた文学になっていますが、まったく読みにくいのでもう一度書き直してくださいという苦情も書いておきたい。

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ドストエフスキー文学には読み手を引き付ける魔力があり、それはうまく書くことはできませんが、今まで読んだ本の中では「カラマーゾフの兄弟」は飛びぬけて面白かったです。
by tunisianoyoru | 2009-08-18 01:01 | 文学編

『二十日鼠と人間』

全国の人間について考えるみなさんこんばんわ。
今回はスタインベックの『二十日鼠と人間』についてストーリーイラストを描きました。

この補助教材をどう再利用するべきか…。誰の眼にもふれないまま置いてもよいものか。…など考えました。特に機密事項というわけではあるまいし、私のイラスト作品ということでブログにアップすることをゆるしていただきたましょう。

スタインベックの小説『二十日鼠と人間』の舞台は1930年、今から80年前の大恐慌時代のカリフォルニアの農村。

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頭が切れて物知りの『ジョージ』巨漢だが精神薄弱の『レニー』2人が主人公である。
『ジョージ』は小柄で頭の回転の速い男。『レニー』は巨大な体と子供と同程度の知能を持ち合わせた男。二人は旅する不安定労働者である。
『レニー』は小動物の毛皮などやわらかいものをなでるのをひどく好むが、力加減ができずになでていた動物をいつも殺してしまう。
(ここに一枚レニーがウサギとたわむれるイラストがあったのですが、「このイラストがほしい」と手があがり、プレゼントしましたのでここのイラストがありません。)

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『レニーとジョージ』は、農場から農場へ渡り歩く日々を続けていた。助け合いながら自分たちの夢を語り合う2人は、次の仕事先である牧場に到着する。

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ジョージの夢は自分達の土地を持つことである。レニーの夢はジョージと共に牧場を手に入れ、そこでウサギをたくさん飼育することである。

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男性の気を引こうとする、若く美しい女性。『カーリーの妻』登場。カーリーは牧場主の息子である。『二十日鼠と人間』は1939年にルイス・マイルストンが、1992年にゲイリー・シニーズが映画化している。

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レニーは彼女を小動物を愛しむように触っているうちに、力の加減がわからなくなり、首を締めて彼女を殺してしまう。

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驚いたレニーは逃亡。

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ジョージは死体を発見。

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考えるジョージ。今回はレニーをつれて逃げても追手につかまるだろう。そうすれば自分も同罪になる。つかまればレニーはリンチされひどい殺されかたをするだろう。となればいっそ自分で手を打つしかないのか…。

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カーリーは妻を殺されたことに怒り狂う。みんな銃を手にとって、レニーを惨殺するつもりです。

映画『グリーンマイル』(1999年)を思い出していただくと『二十日鼠と人間』はイメージしやすいです。グリーンマイルでの大男の死刑囚は、触れるだけで病気を治してしまう。彼が電気椅子に送られることについて悩む主人公。という図がある。

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レニーを見つけたジョージは、レニーが苦しまないように2人の夢を語る。

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ジョージは迷いながら、他人の手にかかる位ならと思い、レニーを射殺するのだった。

不条理なものに遭遇したときに、どのような姿勢で生きていくのか?この作品の読後感は後を引く。新潮文庫の昭和52年に訳されたものはあまり感動しなかったので、私は昭和28年発行の大門一男訳を薦めるよ。

余談

『二十日鼠と人間』はスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(1759 ~1796)の詩が作品のタイトルになっている。

『二十日鼠と人間の、最善をつくした計画も 後からしだいに狂ってゆき 望んだ喜びのかわりに 嘆きと苦しみのほかは、われらに何も残さない』。

当時のスコットランドは経済的に破綻し、飢饉が襲い起死回生の策もイングランドの妨害にあい、独立を放棄イングランドに吸収される。
自分達の土地を失うという点は、スタインベックの『二十日鼠と人間』の世界恐慌時代、自分達の土地を夢見る主人公達に重なるところがある。

ロバート・バーンズよりも時代はさかのぼるが、13世紀後半ごろのスコットランドを舞台にした『ブレイブハート』という映画(1995年)がある。スコットランドの独立の気運が高まったころに作られたもの。スコットランド出身のブレア首相(1997~2007)が、スコットランド議会を約300年ぶりに復活させる。バーンズが死んで200年後のことである。

追憶

1994年スコットランド来訪時の、私とM氏との会話を記憶を巻き戻して再生する。

A 「なんだかこの紙幣ニセモノじゃないですか?使えるんですか?」
M 「スコットランドは独自の紙幣があるんだよ。これも同じようにイングランドでも使えるんだよ」
A 「そういうものなんですか、場所によっては使っている紙幣が違うんですね」
M 「でもこれは後で日本円に変えられないかもしれないから、使い切ってしまったほうがいいね」
A 「なるほど」  
            
スコットランドの5ポンド紙幣にロバート・バーンズの顔は使われている。私は紙幣に鼠の絵を見た記憶があるのだ。

雑感

『二十日鼠と人間の、最善をつくした計画も 後からしだいに狂ってゆき 望んだ喜びのかわりに 嘆きと苦しみのほかは、われらに何も残さない』。

私の敗北は、彼らに対して無力であったことでした。このロバート・バーンズの詩は、私の苦い記憶を和らげてくれるものなんですよ。そして今も、この詩が頭から離れません。

文化的な遺伝子を継承できなければ、人間のつながりも作り出すことはできませんよ。
by tunisianoyoru | 2009-07-01 17:04 | 文学編