世界中の人間の手を集めて博物館をつくり、平和の施設に、てのひらの作品を設置するのが私の夢である。


by tunisianoyoru

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東近江で巡回していた『山田朗彫刻展』~人間について考える人達~の展覧会は終了しました。

八日市図書館、てんびんの里文化学習ホール、能登川博物館のスタッフのみなさん、報道関係者のみなさんありがとうございました。

展示を手伝ってもらったり、展覧会に関係していただいた皆さんありがとうございました。

そして展覧会をみにきていただいた皆さんありがとうございました。

これからも、皆さんと良い関係が築けるように祈りつつ、次の展覧会に向けてがんばります。


展覧会を終えて作者の感想ですが、

作品を作って完成なのではなく、その作品が人の目に触れることによって、作られていくものがあることに気が付きました。前半は来ていただいた人達と話し、後半は、自分からしゃべりに行くことが多かったです。

特にてのひら彫刻は格段に進み、優れた友人達のサポートがあって、出来上がったホームページも好評のようです。

人物彫刻も引き続き制作していきますが、てのひら彫刻は将来性があって、期待の持てる企画なので、成長させたいと思っています。

ご期待ください。
by tunisianoyoru | 2009-06-08 00:16 | 作家活動日誌(第二部)
本棚を捜しても、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』がない。

体が大きくなったり小さくなったりする感覚について、ある種の薬物を服用するとそうした感覚を引き起こすのだと説明していた。あまり知られてない作家のあの本もない。

本棚に入りきらないのでダンボールに入れて封印してしまったのだろう。

我々の間で最近流行っている、内田春菊さんの作品の中に『南くんの恋人』というものが手元にあるのでこれを読んでみる。

恋人が突然てのひらに乗るほどに小さくなってしまったという設定で始まる…内容は省略。

『南くんの恋人』は1987年の作品か…このころまだ美少女フィギュアというものはなかった。

リカちゃん人形という女の子のおもちゃなどがあり、それはいい年した男性が所有していると、変態と呼ばれる種類のものであった。今ではフィギュアはそれなりに受け入れられているが。
―今でも男でリカチャンを持っていたらそいつは本物ですぜ。

これは長浜の海洋堂フィギュアミュージアムのBOME(ボーメ)作品展での風景。撮影はジロウさん。

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フィギュアをどのような視点でとらえるかということはけっこう考えたのだけれど、原型をつくり色を塗っていく過程などは彫刻というよりも工芸的で、茶碗のように触り愛でられるものであり、それを通じて対話を演出できるものと言ってもいいので、要素を解体するとバリバリの日本文化的なものであったりする。フィギュアは突飛なものではなく日本の美の地脈を受け継いでいるのですよ。

あまりそういう方面に適正のないわたしにはようわからんのだけれど、興味深い点は、なんで2次元の世界のキャラクターを3次元にしようとするのかという点なのです。

私は人物の彫刻を作っている人間なので、その問いは自分自身に向けるものでもあるなとおもうのですよ。

なぜ絵では駄目なのか…。立体でないと駄目なのか…。う~ん。BOMEさんは作りながら対話をしていることが、楽しいとかそんなこと言ってました。ほんとに時間がかかるしたいへんな作業ですが、なんでこんなことするのかというと…

人形作家にしろ彫刻家にしろ、つまり形を作ることが目的ではなくて、生命を吹き込むでもなくて、つくっているとですね、像がこちらの問いかけに答えてくれる瞬間があるんですよ。

芸術は才能と思われているかもしませんが、芸術の本質は経験ですよ。才能とは個人的で特殊な経験を補うために、いやおうなしに適応した結果生まれてくるものだと思います。
何の苦労もなく、はじめから上手にできるということは、本人にとってあんまりおもしろいものではありません。そういうものを人がみてもそんなに感動しません。何か本人と切っても切れない因業めいた経験とつながっていることが本当は大切な部分。
作り続ける人間には、それだけの理由となる経験がある。作品に向かって黙してながめている
と、そんな誰かの言葉が頭の中で浮かび上がってきます。

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ボーメさんの作品はとても純粋なんですよ。髪や服の表現はとてもすばらしい。そして作品に共通しているものがあります。それは…変に汚れていないし歪んでいない。明るさというか、う~ん。

フィギュアリン達の目は何をみているのだろうか?

美術は精神分析ではなく感じるものでいいかもしれないけれど、鑑賞はある程度作家に向かっていくことは必要だし、そうでなくてはならない。とくに自国発信の文化については何らかの語り口がなくてはならないでしょう。

いつものように痴漢のような指先で、作家の白紙の手紙をかすめとり、片目で灰色の太陽にかざして透かし見ると、文字が浮かび上がる。このあたりから私の頭には病気と妄想と狂気がざわめいて、やっと調子が出てくる。アマデウスが白目をむいて高笑いをしているすぐ横で平気な顔で薬品を混ぜていくと…

いくつかの思考の飛躍があって、解析すると…魅了したい…愛されたい…という言葉が現れる。

乙女(おとめ)チックという言葉の男バージョンで、造語であるが、乙男(おとお)チック
という言葉を創作するべきか。

ほとんどのフィギュア作家は男性であるが、女性のように見られることを意識した造形には彼らの「隠されたもの」があるのではないか。

かわいい女性のように注目されて愛されたいという言語が読み取れる。あからさまな露出やエロティシズムではなく、目線を引き付けるためのチラリズムに力を注がれておりキャラクターを性格付ける小道具や、髪の毛、服装のほうに情熱を感じられる。
実際のところ、なまなましい性というものはそぎ落とされており、これらのフィギュアは男でもなければ、女でもない。子どもを産めない男性によって工芸的制作のプロセスを経て産まれる奥方不在の赤ん坊、もしくは清潔で場所をとらないペットのような位置にある。

造形言語を解体すると『あなたに都合がよくて、かわいい私を好きになってください』
…となる。

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作品が何を見ているにしても、作品の眼の外側には人間達のモノローグが積み上げられ、それは一つ秩序や世界を成していることには変わりはないさ。

そういう形のない世界、現実にはない空間への扉、時は流れて我々がいなくなっても…この世界の中でキャラクター達と作者は永遠に生きた、ということがまさしくフィギュア作家の愛の形なのではないか…と私は考える。そしてそちらの世界では恋多き人なのではないか。

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ここまで書いてみて、残念なのは、ほとんどが何のキャラクターなのか私にはわからないので外側からしか見えないんですよ。もっと内側に入り込んでみないとわからない部分があるはずです。というか世界レベルでいくと、ほとんどの人にはわからないので、造形表現として見ることになる…人形の中の民族性を見る人がほとんどでしょう。そして日本が生み出したキャラクター文化論みたいな話に飛んでいくのか…。

民族にとっての人形というと、その民族の文化がもろに出るわけですよ。
キャラクターが演じる劇は、マンガやアニメやライトノベルの中にあって、その世界は空想のものであって、現実ではない。

けれども我々はそれは不満なわけですよ。終わってしまった物語の体験が空想でしかないことが…フィギュアはそういう空想世界への反逆なのかもしれない。架空の世界だけでしかなかったものに実体を与えることによって、強引に現実世界にも存在を確認できるというロマンチズムというのでしょうか。
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仏像がつくられたのもおそらくそういう理由でしょう。仏画や絵巻物や物語だけではやっぱり足りなかった。形をつくりたかったのですよ。

誰かが言っていましたが、マンガやアニメというプロセスは、その昔に拡がっていった信仰に似ていますね。

シルクロードの終着駅の日本が、その蓄積を消化して再構築し、新しいものを世界に伝播させていると言ってもいいと思います。

ここからは想像ですが、21世紀の新しい信仰が、いつか政治に利用されるようになり、数百年後には形を変えて世界に拡がり、かつての仏像のようにフィギュアが世界中に立ち並び、経典のようにマンガが扱われ世界中に翻訳される。いつの間にか話しに尾ひれがついて、マンガのキャラクターがインドの女神のようになってしまっている。まあマンガのキャラクターは英雄であり超人であり古代の神話と驚くほど似ているわけだ。神話も大昔の人達にとっては、今で考えるよりもっと身近な絵本とかマンガのようなものだったに違いない。実際、ただの痴話喧嘩物語を神話だと読み間違えたりしているのかもしれないではないですか。しかしかつての信仰が人々の心のよりどころになったように、今のキャラクター達は世界の子どもたちの心のよりどころになりはしないか。もちろん大人もそうですが。
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絵物語はいつの時代にもなくてはならないもので、人間とはそもそもそうしたものをつくり出さずには生きていけない生き物なのかもしれない。

とまあこんなふうに私は考えました。

私は醜聞痛覚満載の生きている人間の物語が好きですけどね。
by tunisianoyoru | 2009-06-04 14:25

撮影会1

公園の撮影会の写真。

…だしぬけにお聞きしますが、ホームページほぼ完成しています。感想をお聞かせください。
←project-of-hand.com

写真だけでは味気ないので、展覧会などの音声をいれましょう。

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ロスコ展ほんとによかったわねぇ。しゃっべてるのを聞いて、とてもうらやましかったわ。
そういういい展覧会に出会うことはほんとにまれなことなのよ。私は嫉妬しそうになったわ。

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熊谷守一の『へたも絵のうち』を読んでいるのを見て

ああ、その本読んでいるのね。とても面白いわよねえ。みんな読んでみんな面白いって言ってたわ。

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森村泰昌さんってずいぶん前になるかしら、滋賀・明日の美術展で出品してもらうことになっていたのよ。でも別の展覧会が入ったとかでこれなかったの。私もその後、森村泰昌の本を読んだりするけど、とても読みやすくていい本なのよ。
by tunisianoyoru | 2009-06-02 01:19 | 作家活動日誌(第二部)