世界中の人間の手を集めて博物館をつくり、平和の施設に、てのひらの作品を設置するのが私の夢である。


by tunisianoyoru

<   2009年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

山で修行

大峯山の山上ケ岳は標高1719mで、今ではこの一帯はユネスコ世界遺産に登録されている。
以下大峯山の登山道より。

b0178362_216491.jpg

危険生物 

白蛇 漬物石なみにでかいカエル サトリ ヒダル神 ぬりかべ こなきジジイ

1300年間の女人禁制の伝統があり、男性しか登れない。

村人からの依頼は、ご利益があるといわれる御札を手に入れるため登山をする護衛を引き受けてほしいというものでした。我々は村人から簡単な説明を聞く。(嘘です。)
b0178362_20573871.jpg


自分はふだんから女人結界の中に住んでいるのでいまさらとは思ったが、女性のいない世界には違和感を覚える。

馬車で移動中、ハリーポッターシリーズ一部と二部をDVDで見る。

やっぱり映画と小説は違いますが、よくできていると思います。

近代ファンタジー小説の原型になったのは、100年以上前のイギリスの作家、ヘンリー・ライダー・ハガードの『洞窟の女王』などの洞窟が出てくるシリーズでしょうか。伝記小説のようなかかれ方で、ファンタジーの中にリアリティを求めた作家です。
b0178362_205829100.jpg


これがすごく面白く、『シャーロックホームズシリーズ』を書いた、アーサー・コナン・ドイルもハガードを意識していたようです。

同時代人には『宝島』を書いたロバート・ルイス・スティーヴンソンがいますが、ハガードの小説のほうが人気があったようです。スティーヴンソンには『ジキル博士とハイド氏』という名作があります。

コナン・ドイルとスティーヴンソンはスコットランドのエディンバラ出身で、ハガードはイングランドのノーフォーク出身です。
b0178362_20585198.jpg


その後、イギリスには女性作家も多く出ました。
このジョアン・ローリングのハリーポッターシリーズもスコットランドのエディンバラのカフェで書かれたもののようです。

アイルランドにはブラム・ストーカーの恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』やジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(女吸血鬼の話)などがあります。

ケルトの伝説からこうしたファンタジーが生まれたと言ってもいいんじゃないでしょうか。
b0178362_20593552.jpg


イギリスからD&Dといったテーブルトークが生まれますが、はじめはチェスのような駒を使うものだったようです。

その後日本にも伝わり、ファミコンのドラゴンクエスト(日本版D&D)ロールプレイングゲームのはじめの作品が作られます。イギリスと日本の島国的国民気質は近いものがあったようで、現在に至ります。
b0178362_20595790.jpg


ハリーポッターシリーズは、作者ジョアン・ローリング自身の離婚と、わが子に向けられた愛情をうまく作品に反映させており、ヴォルデモートという悪役は、おそらく離婚が引き起こす否定的な部分を象徴的に描いたものではないかと私は思います。

邪道ですが、純粋空想よりも、現実の問題とリンクしているファンタジー小説に面白さを感じるほうなのです。
b0178362_2103455.jpg


ハリーポッターシリーズが読める人はこんな作品がありますので紹介しましょう。

フィリス・アイゼンシュタインの『妖魔の騎士』という作品があり、ファンタジー小説というより、文学作品といってもよいのではないかという異色の作品があります。

この作家も女性で、男女を問わずに読んでいて面白いと思います。名作ですが、あまりメジャーではありません。読みやすいと思います。

この作品のあらすじは複雑なのですが、自分の父は騎士だと聞かされて育った少年が父に会うために旅に出ますが、じつは卑劣な魔法使いが、手下に騎士に変身させて少年の母に産ませたのだと…そしてその卑劣な魔法使いこそが自分の父であるということを知るという話。

この手下はいい奴なのですが、魔法使いに支配されていて、命令に逆らえないのです。

手下は、少年に父親のような愛情を持っており、魔法使いの眼を盗んで、事あるごとに少年を助けます。

よかれと思ってしたことが、結果として自分の父が卑劣な魔法使いであることに気が付く方へも向かわせてしまうというジレンマが描かれています。

現実にもこんな話はありそうです。
b0178362_2113484.jpg


しかしこの作品はラストが取って付けたファンタジーっぽいもののエキシビジョンのようになっていて、そこの部分は良くないです。

無理にファンタジー小説にしなくてもいいじゃないですか。ラストは書かんでもええと思います。

この作品ははじめに、作者が自分の母に励まされたことを感謝すると言ったことからはじまりますが、おそらく自分自身の生い立ちについてこの作品の中に描いたのではないか…と、勝手に想像しています。

若者の成長を冒険を通じて描くというこの手の小説の王道ではありますが、特に世界を救うわけではなく、非常に個人的な理由、自分自身とは何なのかというものというところに文学的な魅力を感じます。

騎士、父への憧れやから希望にあふれている若者。自己のルーツをたどるという目的。

そして父の醜く卑劣な裏切りから、自分自身に対する幻滅と転落というストーリー展開は、魅力的です。多分女性から評価されるタイプの小説ではないかと思います。
b0178362_212436.jpg


フィリス・アイゼンシュタインの『妖魔の騎士』上・下巻 1983 ハヤカワ文庫 井辻朱美訳、ムアコックの作品の訳も手がけているところを見るとかなりこの人の訳はいいと思います。

このシリーズ続編が出ていたんですね、当時は(7年前)手に入らなかったのでそのまますっかり忘れていました。

『氷の城の乙女』 上・下巻 1997 これは買いたいところですね。

『妖魔の騎士』を久しぶりに読み返してみたくなりました。
by tunisianoyoru | 2009-08-19 21:13 | 作家活動日誌(第二部)

ドストエフスキー

ちまたでは夏が来ているらしい。

私の部屋には本が1500冊ダンボール30箱に入っていてこれをどうするかが課題です。

生活に支障がでるので、オークションで売ってしまおうと計画中。今すぐ無理に売らなくてもいい作品も多いので気長に整理していく予定。

b0178362_0593814.jpg

ドストエフスキーを読み始めたのが9年前。毎年少しずつ読み進めています。
芸術家なら、一度はドストエフスキーと自分と比べてみたくなると言う人もいます。多くの科学者、芸術家に読まれたドストエフスキーですが、19世紀の人でありながら、20世紀、21世紀の社会と人間の姿を予見しています。以下は作品の感想です。

カラマーゾフの兄弟 
最高傑作。D氏の作品でこれを超えるものはないようです。もう少し生きていたなら後半部分
が書けたのに…。この作品の後半を考えることが楽しみになっています。
私はイワンよりも三男アレクセイのほうが知性を感じます。前半は親父のフョードルが、後半
はスメルジャコフがいいですね。とくに親父のフョードルは他の作品にはないキャラクターで
す。イワンはとスメルジャコフは罪と罰のラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ、アレクセ
イは白痴のムイシュキンがベースになっているようです。主人公が前作よりも欠落したイメー
ジではなく過剰な性格として書かれているので現代人にも読みやすいと思います。アレクセイ
を愛さずにはいられない。彼が愛憎劇に巻き込まれたり、人間に絶望したりする姿が見たかっ
たですね。

白痴 
全体的に単調さを感じるので人には薦められないのですが、二ヶ所すごく面白い場面があります。そこの部分は何度読んでも面白い。
現代から見ると、ロゴージンという悪魔的(病的)なキャラクターはいいのですが、無垢な主人公ムイシュキンというのは新鮮ではないと思います。当時は斬新だったのかな。ユゴーの「レミゼラブル」にも影響を受けているようです。しかしながら、D氏は悪魔を書けばよかったんですよ。
現代人からみれば、ナスターシャを主人公にしてもよかったのではないかと思います。彼女は知的でセンスがよく美人なのですが、自分に求婚してきた男の札束を暖炉にほりこんだりするなど、身を滅ぼすほどの自尊心が高い人です。自尊心ゆえの奇行が多い主人公というふうに進めても面白かったのではないかな。
イポリートという男が自分の真実を証明するために弁舌をぶち、告白が真実であることを証明するためにピストル自殺をする計画だったが、手違いで玉が出ないという事態が起こり、噴飯ものの大失態をするシーンが笑える。

悪霊 
当時カットされた部分、「スタヴローギンの告白」がラストに掲載されていてそこがすごく面白
いが、途中は構成的にいらない部分が多いと感じる、19世紀にはこの主題を書くことはできな
かったということか。
この作品は読みにくいので人には薦められない。しかし、D氏への興味が深まる作品でした。
ユゴーの「レミゼラブル」ではフランスの革命のヒューマニズムが書かれているが、D氏の「悪霊」には革命に潜むサタニズムの予感が描かれている。腹の底までニヒリストの主人公スタヴローギンの告白は、自分の卑劣な快楽のために少女を辱めて、自殺させる。この部分を中心にしたら格段に面白くなったと思います。

罪と罰
この作品は有名です。原作を読むと、後半部分まではかなり単調。家の貧しさゆえに最愛の妹ドゥーニャが、金持ちの親父に嫁ぐことになる。主人公は思想を振りかざして強欲な老婆をたたき殺したが、犯行の目撃者も殺してしまう。はじめの思想は腰砕けになり、まったくの殺人犯になる。そして自分の犯行の発覚におびえる日々を送るという話。
ソーニャという女性に向かって自分の罪を懺悔するラスコーリニコフという図がよく書かれるが、私はこの部分はこの作品にとってそれほど重きを置くべきではないと思います。
D氏が本当に活き活きと書いているのは後半スヴィドリガイロフがドゥーニャを監禁して襲おうと企てるが、逆に銃を向けられるシーンです。(この2人にドストエフスキーは「賭博者」執筆中に知り合った25歳年下ののちに妻となる女性、アンナを投影させていたのではないか)スヴィドリガイロフは撃たれることを望んだが、この主人公の妹ドゥーニャはこの選択に、わざと外して打ち、彼らの仲間には入らなかった…。そしてスヴィドリガイロフはこれみよがしに街で自殺。これが罪と罰の一番重要な部分であり、ドゥーニャとスヴィドリガイロフの部分こそ「罪と罰」なのだと言わねばならないでしょう。

白夜
この白夜は非常に読みやすく短いので読んでもいいんじゃないでしょうか?これ読んだとき主人公と同じ26歳だったのですごく感情移入しましたね。
D氏の初期の作品はロシア文学からの影響は大きかったと思うけれど、当時のロシアではフランスの文化についてたいへんなあこがれをもっていました。彼はロシア版ゲーテを狙っていたんじゃないかなと思っています。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に少し似ているますが、ロシアのウェルテルは弱気な青年です。どこかしら日本の少女漫画風に感じるのはなんででしょう。

地下室の手記
冒頭は太宰治が人間失格を書くときのモデルになったのではないかと思います。D氏はシベリアでの徒刑囚時代にいろんなタイプの犯罪者を見て、小説の題材にしています。そのときのことを「死の家の記憶」という小説で書いていますが、このときは作家の立ち方としてはまだ人道的なところで書いています。この「地下室の手記」を書いていたときに、自分自身も病気でありながら看病をしていた妻が死に、肉体的にも経済的にも極限の中で、彼は、悪魔と契約を交わしたと思うのです。「地下室の手記」以降の作品の文章はわかりにくく、露悪的になり、どこにでもいるやつらの顔をした大衆的悪魔主義文学を書くようになりました。この作品以降、ドストエフスキーには現代人に近い感覚を感じます。

やはり小説家は悪魔に魂を売った奴がいいですね。なかなか我々は悪魔に魂を売ることができませんので、読んでいて楽しいです。ドストエフスキーは誰にも書いたことがなかった人間の真実の中にある奇妙さを表現しました。優れた文学になっていますが、まったく読みにくいのでもう一度書き直してくださいという苦情も書いておきたい。

b0178362_057291.jpg

ドストエフスキー文学には読み手を引き付ける魔力があり、それはうまく書くことはできませんが、今まで読んだ本の中では「カラマーゾフの兄弟」は飛びぬけて面白かったです。
by tunisianoyoru | 2009-08-18 01:01 | 文学編