世界中の人間の手を集めて博物館をつくり、平和の施設に、てのひらの作品を設置するのが私の夢である。


by tunisianoyoru

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 ニュースや新聞などでご存知の方もおられると思いますが、2010年5月の末に、滋賀県東近江市永源寺相谷町で、大きな発見がありました。

 約1万3千年前の縄文時代初期の土偶と大型竪穴住居跡が発見され、国内最古級で、わずかしか類例がないとのことであった。

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           写真は滋賀県文化財保護協会の発掘調査成果展の冊子から転用

 土偶は高さ3.1センチ、重さ15グラム。消しゴム程度の大きさと表現したほうが分かりやすいかもしれない。

 今年の盆はこの話が話題になるはずだったが、十分時間がとれず、皆さんに報告できていない。
永源寺の相谷(あいだに)は、永源寺の入り口付近で、私の家から、車で15分で現場付近まで行ける。

 永源寺といえば、夏場は家族連れがキャンプに来て、それなりに賑わい、紅葉の季節は観光客がやってくる。最近は温泉施設などを作ったり、観光地として地味にやっている。鹿や猿などの野生動物のほうが、人間より多いのではないかと思われるほど人口は少ない。

 どういうわけか、この辺りでは結構古い時代のものが発見されるが、130世紀も昔の人間の生活の痕跡が発見されるとは驚いた。住居跡の方はまだ見ていないが、土偶は瀬田に展示されていたのを見ることが出来た。

 歴史のことは詳しくないが、この機会に想像力を働かせて、先住者の縄文の人たちのことを考えてみる。

 土偶は基本的に妊娠した女性の姿をしていて、まぶたが閉じられている。縦に刃物で傷つけられており、割られて埋葬されているそうである。見えるがままにリアルな造形を求めることはタブーだったようである。魂が吸い取られると考えていた?

 縄文人は、土人形を作り、火を入れて、土偶を作ることを1万年も続ける。文字は持たなかったが、土器の模様は無意味なほどに発展している。派手な造形の入れ物は、実用性は低かったはずである。
 やわらかい土に火を入れ、堅いものになることは、不思議なことであって、神の力が宿っている道具だと考えたのだろうか。

 縄文時代は今よりかなり寒かったし、死亡率が高かったので、死んだ人がもう一度生まれてくるために、埋葬と誕生の儀式を同時に行うようになったのかもしれない。   
 食べ物はとても大事なものだったはずなので、土器の模様も、食べ物を貯蔵する際に、何らかの儀式を行っていたのだろう。

 土器の模様や形を変えることによって、この入れ物には何を入れるか決めていたり、この形の入れ物の所有者を決めていたりしたのかもしれない。

 すばらしい発見だったと思います。発掘者、研究者のみなさんの、今後の調査を期待しています。
 
by tunisianoyoru | 2010-08-31 23:59 | 作家活動日誌(第二部)